はじめにはじまり~心を集めて~

大切な我が子は、我が手で育てたい。
地域のなかで当たり前の生活をさせたい。昭和50年。そう願う7人の親が集まり、財団法人小鳩会高知県支部が産声をあげました。

(注)本文は平成5年に発行された、あじさい園建設準備委員会発行冊子「心をあつめて」から掲載いたしました。よって障害の状態を、精神薄弱という、現在は使われていない用語で表現されています。

小鳩会高知県支部発足 写真

小鳩会高知県支部発足
 財団法人小鳩会高知県支部は、昭和50年にダウン症児をもつ7人の親が集まり産声をあげました。ダウン症とは、人間の細胞の中にある染色体の異常によって起こる全般的な発達障害を伴う疾患です。それを最初に発見した人の名前を医学的診断名に用いています。

 その頃は精神薄弱児・者は、社会的に不利益を受ける日々が続いていました。私たちの子供は発達障害があるということで、児童福祉法で保障された保育所にも入所できず、働いていた親は仕事を辞めなければならず精神的、経済的に追い詰められた状態でした。教育面でも、可愛いわが子を自分で育てながら教育を受けさせたいという親の気持ちを踏みにじるような、生活の分離を伴う養護学校への入学を、一方的に勧められた時期でもありました。
 
 障害があろうと我が子は我が手で育てたい、障害をもたない子と同じく地域であたりまえに生活させたいと考えた私たち小鳩会は発足以来、障害児をもつ多くの親と共に、行政のご援助を受けながら目的に向かって努力してきました。

親亡きあと
 一方、障害児・者をもつ親に共通の「親亡きあと」の悩みも抱えていました。「親亡きあと」とは、親が子供の世話ができなくなったことを想像し不安になることですが、その両親が死亡した場合は当然のことながら、どちらかの親が亡くなるか病気になった場合も同様であると思われます。

 よく母親同志の中で「自分の死ぬ1分前に、この子が死んでくれることを望んでいる」という内容の話が聞かれます。これは、子供にとって「親に勝るものはない」、親にとって障害をもつ子を残していくのは辛いという思いが強く働くからだろうと思います。兄弟や親類が多くても、また施設が充実してもこの想いは変わらないでしょう。

はじまりの物語 写真2

精神薄弱者
更生施設建設の必要性
 過去には精神薄弱者は生涯教育が望ましいという考えや、家庭内の社会的、経済的な理由で入所ができれば良しとする時代がありました。それに対し、現在の親は可能な限り自分達が援助をしつつ家庭の一員として、また社会や近隣者の支えを得ながら社会から隔離されない生活を強く望むようになってきました。

 しかし、いつまでも一緒に生活したいと思う反面、時間は親を老いさせ時には病に倒れることもあり、親の望みが叶えられなくなります。それを思うと、毎日の幸せそうな子供の顔を見ながらも、時々言いようのない不安が持ち上がってきます。「親に勝るものはない」けれども、自分たちが子供たちから離れなければならなくなった時に安心して子供を託せるところが欲しいと考えます。
 
 また、一日中、一年中子供といることが精神的に肉体的に重荷になってくる親と子もいます。そのような親と子が良い関係を長く続けられる方法として、親と施設が生活援助をうまく分担できればと考えます。

施設には入れたくない、
しかし・・・・
 私たちは、本質的には入所施設を否定している親の集まりであると思っています。しかし、現実は施設を必要としているのです。何度も会を開き話し合いましたが、施設建設を目的とする会であるのに、「どんな立派な施設ができても私は子供を入れたくない」という話と同時に、「しかし、将来親と子供の環境がどんなに変わるかわからない・・・だから施設は必要」という非常に矛盾し、しかもあらゆることを熟慮した意見が交差します。

はじまりの物語 写真3

第二あおば学園との出会い
 小鳩会高知県支部が発足できたのは、徳島県支部の方々の言葉に尽くせないご協力があったからです。その徳島県支部が中心となり、昭和 62 年に精神薄弱者更生施設「第二あおば学園」が開設されました。その頃の私たちは施設にわが子を預けることには否定的で、平成 2 年 4 月から共同作業所「こばと作業所」を開設し、次の目標として通所施設を考えていました。「第二あおば学園」を見学させていただき、徳島県支部の方々のご意見を伺ったり、施設運営の実際を聞くにつれて、入所施設でも自分たちの考えは十分に生かせ、なお通所の限界を補えることがわかりました。そこから、施設に子供を預けるのではなく、自分と同じ悩みと考えを持ち施設を運営する親に信託することが可能であることを知りました。

自分たちの手作りで
 精神薄弱者は、自分の考えを伝えることが非常に不得意です。長く生活を共にする者が年数を重ねてやっとおおよそのことが理解できるのです。私たちは、彼らの唯一の理解者であり、代弁者となり得るのは親であると自負しています。
 
 その親が多くの方々からの物心両面のご援助を受けると共に、そればかりに甘えるのではなく、自分達ができることは精いっぱい努力した上で、親自身の手で建設と運営をする施設が必要となっています。お茶碗一つ、花一つ、自分の子供に使わせてみたいと思う物を選びながら生活環境を作りたいと思っています。
―私たちの考える「信託」とは・・・―
同じ考えを持つ障害児・者の親が
構成する集まりに子供を託し、
託される関係を作ること。

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